写真とイラストでそっくりな構図を発見した(笑)。
北海道住宅の始原を探るシリーズですが、
当然歴史事実の発掘がたくさんありすぎて興味深さが加速する(笑)。
この屯田兵屋は、わが家のすぐ近くに総数208戸が1875年に竣工した。
いまから144年前ということになりますが、
明治以降ということなので、写真という情報基盤が現代と共通する。
写真が残されていると、その「表現力」の奥行きの深さに驚く。
それまでも瓦版や、大和絵から出自の筆絵での表現はあったのですが、
そこには主観の余地が大きすぎて「事実」感覚は一歩後退している。
この2枚の写真とイラストの表現内容の違いでしょうか。
写真からは、その時代の人々の写真というものへの「好奇」の視線も感じられる。
社会に写真が導入された当座、精神が「吸い取られる」みたいな
そういった反応があったとされていますが、
明治初期の写真に写った人々の表情からはそういう雰囲気もつたわる。
それに対して、大和絵を起源とする日本の筆絵表現、
その現代版といえるマンガ・イラスト表現には、掻いた人間の
内面性がそこに付加されて、諧謔性やぬくもりのようなものがつたわる。
このイラストで言えば、お父さんの表情には
「ああ、いやだいやだ、きょうも兵隊訓練かよ」
という表情が見て取れるし、目をこすりながら父親を送り出す子どもの
体表現に、時空を超えるかわいらしさが感じられる。
たぶんこの両方があって過去という「人間と時間」がつたわってくるのでしょう。
いまでは人間も写真というものに慣れて「ヘン顔」映りを自慢したりする。
そのような人間の対応変化もあるけれど、
同時に写真撮影の側も、大いに変化してきていると思う。
モノクロからカラーに変わったということももちろんだけれど、
それ以上にアナログからデジタルに変わり、しかもそれが
カメラだけでなくスマホというツールに変化したことで、
写真点数というものが、たぶん幾何級数的にビッグバンしている。
そう、それこそ「ビッグバン」ということに近いのだと思う。
現実ということの「記録」について、
人類はまったく未踏の領域にいま、立ち至っているのでしょう。
この写真とマンガイラスト世界とは、また違う地平で
いま大きな「情報の転換点」を迎えているといえるのでしょう。
アナログの写真雑誌と、デジタルのWEBメディアの両方で
ビジネス展開しているわが身として、現在進行形でいつも考えることです。
でもやっぱ、マンガの子どもの愛らしさには、負けてしまいます(笑)。
Posted on 10月 30th, 2019 by 三木 奎吾
Filed under: 住宅マーケティング
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